研究室配属

無事、希望通りの研究室に配属されたわけだが。
周りを見てて、配属の仕方にすごく疑問を感じた。


何に疑問を感じたかというと、平均評定だけで判断していいのかということ。


本当は平均評定が高い順にとらなくてもいいことになっているが、公式に教授側に提出されるものが成績しかないので、実質それが判断基準となっている。


これはアメリカの入試で言えばGPAだけ(留学生の大学院入試だと他にTOEFLGRE、推薦状、出願理由のエッセイなどが求められる)で合格者を出してるようなもの。


しかもこの評定と言うのが、的確にその授業に対する能力を表現しているとは思えないことが多い。いい成績を取りやすい授業と取りにくい授業で大きな差があるし、そもそもいい成績を取れている人がその科目の理解が深いかと言うとそうでもなかったりする。その原因は、出席と授業受けても受けなくても解けるような簡単な課題を重視して成績をつける授業が多いからだ。結局、どんなに意味のない簡単なことをしていてもまじめに授業に行き、多くの時間を費やして課題を提出できる人が成績は高くなる。逆にわかっていても簡単すぎて授業に行かなかったりするとBやCが来る。もっとひどいのは教えてる側のほうが能力が低くて提出した課題のすごさが理解されないことだったりする。
実際、特にやりたいこともなくて、バイトもサークルもやってないって言うような人は平均評定が高い。


確かに平均評定に1(AとBの差)ぐらいの差があるとその人の学力、能力に有意差がありそうだが、0.5ぐらいだと全然わからない。
評定は自分の成績よりも低いけれど、自分が決してかなわないと思うような優れた能力がある(もちろん学科に関連した分野で)人を何人も知っている。


研究をする上で英語力だって重要な要素だろうから、TOEFLの成績も提出させるようにすればいいだろうし、何より、自分が学部時代何を学んで、その研究室で何をしたいのかというのを書かせたエッセイを選考の判断材料にするべきだと思う。


評定はあまり高くないけれど、だいぶ前からやりたいことと行きたい研究室が決まっている人が不安な顔をしている中で、成績がいい人がどこでもいいけどとりあえずこんな感じかなと余裕な顔して選考用紙を記入しているのを見て怒りを覚えた。
そして、実際にその成績のいい人の気まぐれのせいで落とされ、やりたいことができなくなった人を見て残念で仕方なかった。



これでその人の3年、または1年が決まるのだからもう少しちゃんとした選考をやってもいいのではないでしょうか?



今これを書いたところで、どうなることもないだろうが、いつの日かこの大学の選考システムが変わることを祈っている。
(追記:早稲田大学のコンピュータネットワーク工学科の話です。きちんと固有名詞を書いたほうがよさそうなので。)